北海道ツーリングレポート  北海道ツーリング HOMEへ
 初の北海道一人旅、初の道内全日程晴天、初のビッグオフ!
その小高い丘を登ると、別世界・・・・ 満月の下に根釧原野が広がっている。 ただただ広大な、黒々とした大地だ。
百八十度、遮るものひとつない大平原に、農家の小さな灯りが星の数より数倍希薄な密度でちらばっている・・・
ここ、中標津にある開陽台に憧れて、何度も足を運んだ北海道のトラベルレポートです。
ようやく北海道にも本格的な開発が始まった80年代、 ブームで賑わった90年代初頭…
あの頃にTOURINGできた事を嬉しく思う。
HOKKAIDO SOLO TOURING '93
1993年8月17日〜26日
with YAMAHA XTZ660 TENERE


8月21日(土)晴れのち曇
昨夜「起こしてくれ」と頼んでおいた大阪の女性が約束通り起こしに来てくれた。
何がなんだかわからぬままキャラバンに乗り込んだのはいいが、ダートに入って車が暴れ出すまでの記憶はほとんど無い。 まだ体がシャキッとする前に襟裳岬を上から見下ろせる肉牛牧場に着くが、ガスのため視界悪し。
しかし野生の鹿の親子が朝陽を浴びながらキャラバンと並走する姿は圧巻でした(ここはサファリパークか!)

百人浜に着いて蝶々貝を探すが見つからない。 まぁユースの売店で売ってるから(笑)
ここで怖い話を一つ。
この浜の沖ではその昔ロシア船が難破して百人の人がここにたどり着いたそうだが、寒さと飢えのため絶命した。 
昨年までこの浜にはキャンプ場があったそうだが、今年からは道を隔てたところに移され、オートキャンプ場になっている。 それは「霊が出る!」というキャンパーからの苦情が役場に殺到したかららしい。
おぉ恐ろしい… 今が朝でよかった。

最後に襟裳岬へやって来ました。 ユース自前の望遠鏡でゼニガタアザラシを探す。 僕らではなかなか発見できないが、さすがはヘルパーさん、しっかりと狙いを固定して私たちに見せてくれました。

すっかり目も覚めて気分はハイ。
ユースに戻り朝食をすませ記念写真を撮る。 別れづらいユースの仲間達を振り切り走り出すと、ヘルパーさんが「♪別れの時がきた〜」とギター片手に歌い出し、みんなが「いってらっしゃーい」と手を振ってくれた。 


黄金道路は相変わらずのガスで、不気味な感じの道。
フンベの滝まで日本離れした風景を楽しみながら広尾に入ると、ガスも晴れて晴天。 今日も最高の空だ!
タバコ屋のおじさんと話してたら「あんたはええ時にきた」とまた言われる。 嬉しいことです♪
体調を整えるためオロナミンCを飲み、眠気防止でガムを買い、ナウマン国道へ入って行く。

120km/h こんなスピードでクルージングするのは久しぶり。
早く釧路に着きたいのと、ナウマン国道がそうさせたのだ。 まず道がほとんど真っすぐで車が走っていない。 見たのは工事車両の1台のみ。 ハイスピードで移動する旅も良いもの。 感激々々。

十勝川に架かる立派な橋を渡った。 その横には数年前まで使っていた渡し船がある。 時代も移るねぇ。


豊頃を越え釧路までほとんどノンストップ。
広尾から約2時間で、馴染みの店「クロス・ワン」に到着しました。

扉を開けると'86年に初めて訪れたときと変わらぬ店内がある。 わずかに違うのはトライアルの優勝カップが増えたのと、ちょっと痩せたマスターの阿部さん。
カウンターに座り「何か食事できますか?」と聞くと「食事なんて立派なものじゃないけど出来るよ」とマスター。 何が美味しい?との問いには迷わず「カツカレー!」ときた。 
少し話してみても、どうやら私だと気づいていない(なんせ6年ぶり)。
前回は扉を開けるなり「おっ今年は二人か?」と声をかけてきたのだが(笑) まぁ、そん時は1年ぶりだったからね。
「マスター、僕のこと覚えてます?」と聞くと、「なんだよ、おい。 今年はそんな奴ばっかだな」。 一度この店でマスターと話をすると、必ずまた来るそうだ。
'86年に初めて来たときは、夜中に国道を走っていて飛び込んだ。 翌年はモーニングの時間を狙って来店。 当時のエピソードを交えて話をすると「あぁ、あんときの! 確かシャフトドライブのバイクに乗ってたよな」と懐かしい再会になりました。
釧路沖地震・奥尻島南西沖地震・北海道と内地の食糧事情の話、そしてバイク談議に花が咲きアッという間に2時間が経った。
とても美味しいカツカレーと入れたてのコーヒー、そしてサービスで出してくれた抹茶アイスで体力を充電した私は、再訪の約束をして店を出た。


釧路湿原の西側ルートを北上して、初めて訪れる多和平を目指す。
標茶へ抜ける道道を走っていたが道に迷う(^^;) 行けども行けどもダートで、どんどん道は淋しくなってゆく。
地図を取り出し現在位置を確認するが、よくわからない(>_<)
とにかく東へ行けば標茶と弟子屈を結ぶ国道に出るはずだ。 道がダートになろうとカーブしてようとなりふり構わずGO EAST!
やった!国道だ! 埃まみれになりながらも無事に多和平育成牧場の入り口を通過することが出来た。


駐車場には2〜30台のバイクが止まっている。
もちろん車だってバスだっているし、売店もあるし外灯も整備されている。 ここ多和平も2年ほど前からはすっかり観光地化されたようだ。
周りをぐるっと見てみると、なだらかな丘が彼方まで続く。 
緩やかな丘を展望台まで登って行く。 キャンパー達のテントが張られている。 そして展望台の上に立つと正真正銘の360度の地平線。 しかし360度のほとんどを、緩やかに続く丘が占めてるので私好みではない。 
オーストラリアで例えるならフィリップアイランド北部の丘陵地帯を思わせる風景(もちろん規模は違うが)。 私が好きなのはブリスベン郊外にある平野部だけの地平線の風景。 
地面から突き出たものはなく、視界の限りつづく地平線が好きだ。 日本だと中標津の開陽台。 
バックを武佐岳に押さえられてはいるが、根釧原野が遙かオホーツク海までつづき、国後島まで見渡せる開陽台が好きなのだ。 
「あそこは観光地化されて、もう終わりだ」などの声を聞くが、ここ多和平も全く同じ現状である。 今年話題の900草原も来年はどうなっているかわからない。 
しかしそんなことを言っていては、どこへも行けなくなってしまう。 観光地化されたって良いものは良いのだ。 
開陽台・宗谷岬、私の大好きなポイント。 特に日没直後は最高である。
そうだ! ここでのんびりしてられない。 次は開陽台だ。


パイロット国道で中標津まで。
見覚えのある交差点を空港方面へ左折。 そして、あの開陽台へと続く直線道路を駆け抜けて5年ぶりの開陽台へスリップオン。 
どうだいこの景色、ライトを付けたバイクが、ここを目指して走ってくるのがかわるじゃないか。 8年前に初めてここを訪れた時の私の姿のようだ。
あいにく中標津あたりから雲が出てきてオホーツク海までは見えなかったが、それでも最高と言いたい。

もう5時をまわっているので車も少なくバスも来ない。 丘の上ではライダー達がキャンプの支度を始める。
私は万感の想いを抱きながら、ここ開陽台の姿を眺めている。 でも、もう6時が迫っているので、予約しておいた宿へ行かなければ…
明日の朝、もう一度来ることにして開陽台を後にした。


道に迷ってしまった。
このあたりは牧場以外何もないところで、行けども行けどもダート。 しかも、どこまで続くかわからないような一本道。 散々迷ったあげく、上武佐にある"とほの宿"「ミルクロード」にたどり着きました。


夕食はラムのジンギスカンで腹一杯。
その後、オーナーの運転で川北温泉へ。 ところがこのオーナー、運転が荒っぽいので有名らしく、川北温泉へつづく下り坂の急勾配ダートをとんでもないスピードで下って行くのだ。 
ワゴン車の中で上下左右に振られ、体はシェーカーの中のリキュール状態。 
この坂にかかる手前で「皆さん、ジェットコースターはお好きですか?」と聞かれたときに「好き」なんて言うんじゃなかった(笑)  
でも個人ではなかなか来られない川北温泉に連れてきてもらったのは感謝です。 最高の露天風呂をありがとう。

宿に帰ってから毛ガニが一人一杯づつ出てきて、搾りたてのミルクも飲ませてもらいました。 
最後にチェックインした私はこの時に宿帳を書いたのだが、名前住所から始まって好きなスポーツ・酒・異性、さらには初体験まで50項目ほど書く欄があるのだ。 全ての質問を書き終えると(書いたんかい!)同宿した人達と一体感を覚え、宿に対して親近感がわくのは不思議ですね。
しかしこのオーナー、何を思ったのか「カニの殻を焼く」とか言い出して薪ストーブに火を入れだした。 あ、熱い!暑い! これには閉口。
1時間くらいは我慢して食堂にいたが、その後は2階へ上がってさっさと寝ました。 
ここのところ寝不足のはずなので、今夜はゆっくりと疲れをとることにしよう。





ガスのかかった黄金道路



見渡せない釧路湿原



多和平の入り口



多和平展望台より



多和平周辺は丘陵地帯



根釧原野に入りました



開陽台近辺
こんな道で迷う



北海道の国道
ライブカメラ





国立公園 釧路湿原

多和平 育成牧場

とほの宿

旅人の宿 ミルクロード

川北温泉

1985 1986 1987 1991 1993 1995